All around us

I have written about something around me

夜明け前

新年を無事迎えることができました。

現在朝の6時過ぎ。某スーパーの駐車場にいます。何故正月早々馬鹿みたいに早起きをしてスーパーの駐車場にいるのかというと、初売りに参加するためです。

初売りとは正月に行われる行事で、色々な種類の商品が定価よりも安く売られることで知られています。

昨今ではインターネットを利用した初売りなんてのも増加していて、手軽に参加できるとあって人気の商品はすぐに売り切れてしまうようです。人間の欲深さが垣間見られることでしょう。

僕も例に漏れずそういった類の初売りにも参加していますが、やはり早起きという重労働の末に手に入れることができるという、ある種の拷問のようなこのリアルのイベントに参加するというのが風情となのかもしれないと思いながら、そしてそんな考えに一抹の疑念を持ちながら初売りに参加しています。

かれこれ20分ほど待っていますが、客はまだ他に見られません。数台の従業員のものと見られる車が通り過ぎて行きました。

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写真ではやや明るいですが実際にはもっと暗く、深夜の様相を呈していました。

現在6:30ともなれば、さすがに空も白んできていてあたりの様子もわかるようになってきました。そしてやはり誰もいません。ここまで誰もいないとなると少し不安にもなってきます。どうやら世間の価値観と僕の持つそれは異なるようです。だれもローカルのショッピングスーパーで催される初売りなどに正月の貴重な朝の時間を割くという価値観は持っていないようなのです。結果論ですがもう少し寝ていればよかったと後悔します。店があくまであと2時間半程。暖冬とはいえこの極寒の中列に1人で並ぶのはなんとも言えない感情になりますが、1人ではもはや列にもなっていないことに気がついてしまったので考えないことにします。

数日前から、年末からかれこれ4日ほど寝不足が続いています。前半はただ遊んでいただけですが、昨日今日と初売りに参加しているため寝不足です。年齢によるものか、寝不足であっても日中は熟睡することができずにすぐ覚醒してしまいます。部屋の照度の影響かもしれません。遮光カーテンが欲しい。

そんなこんなでそろそろ到着から1時間か経過しそうですが、やはり客と呼べる人物の到着はなく、張り合いがありません。あれ、ちょっと本気出し過ぎちゃいました?1人で待っていると、なんだか勇んで早起きしたことも開店を待っていることも非常に滑稽に思えてきます。新年から何をやっているのでしょうか。

自分勝手ながらもうさっさと売って帰らせて欲しい。どうせ先着順なんだから。トイレも行きたいし眠いし。

そうは言っても仕方がないので暫くこのまま待ちぼうけることにします。

 

デワデワ

年の瀬 ‘23

今年を振り返って

困ったことに2023年があと15分ほどで終わってしまう。

毎年大晦日には記事を書くと何となく決めていたつもりだが今日は書き出すタイミングがつかめず気づくと現在23:47。もう残すところ僅かとなったが今年を振り返っていきたいと思う。

 

というか前回の記事が9月。ほぼ4か月ぶりの更新だ。相も変わらずやる気が出ずにここまできてしまった。年を重ねるにつれ日常の刺激に対し耐性がつき、感動することがすくなくなったように思う。これはきっと先人の皆々様も同様に感じていたことだろうと推測する。年々不感症になっていく心。決して悪いことではないのかもしれないが、好奇心はわずかに残ってはいるので、その思考や行動の結果をアウトプットすることくらいはしようかなどと思ってはいる。次こそは、次こそはと思い続けて、死ぬまでこのままなのであろうと予想してみる。

 

北海道へ

9月に3泊4日で北海道に旅行に行ってきた。単純に楽しむためというか日々のストレスから解放されるための旅行なのでグダグダと考え事などはしたくなかったが、色々と家族関係のことで翻弄されてしまう一幕もあった。

行ってきたのは札幌、小樽、旭川。海鮮を食べ動物園に行き酒を飲んで運転してきた。

美味しかったのでまた疲れた精神を癒しに行きたいと思います。

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親類

今年の秋に叔父になった。姪が生まれた。

弟に娘ができたということだ。父親としての役割を是非とも全うしてもらいたい。

父親などは初孫ということもあってか今までにないほどに関心を寄せているように思われる。可愛いがっているようだ。目に入れても痛くないというのが通説であろうがそれは本当なのかいつか聞いてみたいと思う。

 

2024

久しぶりに文章を考えたせいかこれまでより時間がかかってしまったようで年をまたいでしまった。現在は2024年の元旦なのでこの記事のタイトルや役割もそぐわなくなったのでそろそろこの記事を終わりにしたいと思う。余談だが記事を書くときや本を読むときなどある程度頭を使うようなときはテレビやラジオなどがついていると集中できないことが多い。今まさに元旦のお笑い番組がテレビから流れているため、今回の記事もやはり集中を欠いたものとなった。その結果考えがまとまらずここら辺にしておこうと思い立った。

さて来年、もとい既に今年だが、2024年はどのような1年にしたいだろうか。
記事の更新を多くして、収入増加のため英語学習をこなし、試験でよいスコアを取り、転職して収入を上げ、借金を全額返済する。そんな俗世的な欲望もありながら、ただ心安らかに、そして思うままに知的好奇心を満たしていけたらいいとも思う。あと何より痩せたい。といいながらハイボールを飲んでいるようなことでは達成できまいとも思う。ままならないものだ。

 

そんなわけで2023年もおつかれさまでした。2024年はもっと大変な時代へと突き進んでゆくのかもしれませんが、どうにか生きてその先の行く末を見守って参りましょう。

 

デワデワ

現在午後1時過ぎ

現在地点

毎回のことながら記事の更新が2か月以上ぶりとなってしまいました。

自分なりにどうしてこんなにも書く気が起こらないのかと考えてみると、やはり書きたいと思うことが少ないからだということに気が付きました。人生30年以上も生きていると考え方は凝り固まりますし、なんというか老害に一直線といった感じがします。

何より生活に刺激が少なくなってきたように思います。ある程度のことは経験してきてしまったので新しいことに出会う機会がめっきり少なくなりました。もちろん注意深く振り返ればないこともないですが、これまでの経験を踏まえて生活しているとなにか物事に対して色々と予測しながら暮らしてしまうようになります。その結果としてもともと斜に構えて見ていたものをより一層つまらないもの、関心や刺激になりえないものとして処理してしまうということになります。これは良い言い方をすれば効率化ということで、感情や情報に脳のリソースをさかないということではないでしょうか。
ここで言いたいのは何でもかんでも効率化すればよいというものではなく、やりすぎると生活がモノクロで味気ないものになってしまいますよ、ということです。もちろん僕自身を含めてですが。

認知機能の衰えから新しいものを拒絶し、古きを懐かしんでばかりいてもあの頃は戻ってこない。今という現実をどう生きるか。答えは闇の中であります。

 

最近志村けんがネットで話題になっていたのでなんとなく調べていると、少し面白いことが書かれていました。「自分の一生を朝起きてからの時刻とするとわかりやすくなる」的なことだったような気がします。

 

もし朝起きてから寝るまでの時間を簡単に午前6時から午前0時までとすると18時間。

人間の一生をわかりやすく90年とすると時間との関係は5倍。

これを自分の人生に当てはめてみると現在は午後1時頃というところでしょうか。

一日の終わりまではまだまだ時間はあるが、だらだらと昼寝でもしていたらあっという間に夜になってしまう。逆にこれからどこかへ何かしに行こうと思えば何かできる、そんな時刻です。もちろん夜になったら布団にはいらないといけないのでそこらへんの時間はかんがえないといけませんが、この後どう一日を過ごすか考えてもいいかもしれませんね。

 

 

夏らしいこと

夏なので水辺に行きたくなり江の島に行ってきました。


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今回は初めて江の水にもいってきました。

盆に近い時期だったので人が多く感じました。コロナ明けということもあるでしょうが。

そもそも何をもってコロナが明けたのかは個人の考え方によってさまざまでしょう。もはやあの感染症は政治や宗教と肩を並べるほど思想や生き方が反映される事象となっているような気がします。ですからあまり気軽に話す内容でもないのかもしれません。触らぬ神にたたりなし。
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東北へのチャレンジャーとあぶくま洞again

 

つまりは幸手のパチンコ屋に行って南相馬に宿泊して津波の被災地と原発跡地に足を運んで鍾乳洞に探検しに行ってきたということです。

 

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マックス兄さんは今回の旅では比較的元気でした。

でも運転時にブレーキを踏むタイミングが少々怖かったです。なんとか無事に帰ってこれましたので心配には及びません。

 

 

美しく生きることはできない

最後にモノローグというか独白で今回の記事を閉めたいと思います。

余談ですが、最近はどこどこに行ってそのときのエピソードや写真をアップするよりも日々のちょっとしたことに感じたことや考えたことを文字にして綴っていくほうが筆が乗ります。

 

なんて言っても今回は特別大したことではありません。

単純に「人は理不尽で利己的で醜悪で、とまでは言わないもののやはり美しく生きていくことは難しい」ということです。

人の醜美の感覚は人それぞれなので具体的な話ではないのですが、そんな風に常々思います。美しく生きるのは難しいからといって醜く人の道を進んで外れていく必要はないですし、むしろそこを受け止めてどうやって生きていくのかが問題です。

自分の生き方はまだしも、人の生き方はおおよそ意図的に変えることは難しく、できたとしても非常に労力がかかります。ですから他の人の「美しくない」生き方を見たときに「見下す」か「諦める」というのが今のところの選択肢になります。この2つはほぼ同義かもしれません。

若いころは「働きかける」や「努力する」という精神状態でいましたが、今となってはそれこそ難しい。この2つもまた意味は変わらないかもしれません。そういった意味で年を重ねても人や社会みたいなものを努力して変えようよしている人は稀有でいて活力的だなと思います。こういった人も方向性を間違えると「美しくない」生き方になってしまう可能性があるので注意が必要です。

 

そんなわけで。

 

デワデワ

雑記

話題

前回の記事から2か月以上経過したのでいろいろと話題はあったはずですがネタをメモに残していなかったので特にこれと言って思いつきません。
なのでここまで書くだけでも珍しく時間がかかっています。結構困りました。

最近あった出来事としてはラップトップのPCを新調したり月に1回くらいスマホを変えたりしていますがそんなことは書くまでもないので置いておいて。


今月の中旬に2番目の弟の結婚式に参加してきました。

親族として結婚式に参加するのは初めてでしたが、友人として参加するのとは違って相手のご家族に悪い印象を与えないようにしなければいけないといったようなことを思いながら参加したので少々疲れました。また話し相手も3番目と4番目の弟くらいしかいないのでそこも困りました。
未だに弟が結婚したという実感もあまりなく、11月には姪も産まれるそうなのですがその事実を知ってもあまり実感が湧きません。ただ、姪っ子を抱いている弟を見て初めて彼も父親になったのだなという感覚にはなれるかもしれません。

 

最近はなんとなく体調がよくない日々が続いていて、それと同時に何となく老いのようなものを実感します。自分が子供のころに大人が言っていた「いつもどこかしら調子が悪い」という言葉の意味を理解しかけているのかもしれません。気持ちの上では特にこれといった変化はないのですが、フィジカルな変化は何となく否応にも理解してしまうような気がしています。それこそ弟が結婚しただの子供ができただのよりも色濃い実感が。

 

最近はとんと家から出ることも当社比では少なくなり、仕事をしているか副業をしているかくらいなもので、所謂やる気の停滞期のようなかんじです。周期的にこういったマインドセットになることがあるのはこれまでの経験からで別段気にすることではないのですがストレスは多少かかっているような気がしていて、それが体調にも表れているのかもしれません。体調とモチベーションはリンクしているのでしょうか。よくわかりませんがやれることをぼちぼちやっていくしかなさそうです。


生活とか

今更ですが昨今の物価高には嫌でも気が付きます。

外食をしてもスーパーやコンビニで買い物をしていても外にでれば商品の価格という数値の増加に気づかされます。物価は上がれど賃金は上がらず、貧困層はより貧困になり未来を憂いた若者は犯罪に走り治安が悪化し、なんてところにはまだきていないのかもしれませんが、近い将来こうなるかもしれません。

 

そもそも金というシステムやこの経済というシステムに限界がきているのかも知れないと妄想します。
例えば社会主義経済では同一労働同一賃金ですが、いくら同一労働といっても個人個人の能力には差が出てきてしまうので能力の高い人からすれば生産効率の悪い人と同一の賃金であることに不満が生まれます。結果同一賃金では生産性の高い人は手を抜き、それがスパイラルとなって全体の生産性は低下の一途をたどります。不便でもよくて、世界全体がこのシステムであれば低い生産性のまま不便な暮らしをすればよいのですが、全体がこのシステムを採用した歴史はなく、歴史的にみても長期的にはこのような社会主義経済は失敗しているように思います。
それに人間は一度手に入れた便利は手放すことが難しく、火や電気や原子力などのエネルギーを完全に放棄するのは成熟した経済や医療を考えると困難なように思います。

 

かといって現在僕たちが暮らしているこの世界の主流である資本主義経済にも困難が立ちはだかっているように思います。資本が資本を作り、富が富を蓄積させるこの方法は成熟すると現代の先進国のように経済的な格差という問題を抱えてしまうように思われます。頑張れば報われる、夢のある未来を描くには精神的にも物理的にもある程度の豊かさみたいなものが必要ですが、こういったものをこれからの若者、僕たちの子供の世代は得ることができるのでしょうか。古代ローマでも抱え、解決できなかった少子化という問題を世界は克服できるのでしょうか。有史最大を更新し続ける人口の爆発を地球は抱えきれるのでしょうか。

一歩外に出てみると意外にもそこは平和で、頭の中やメディアが煽るような危機的な状況は存外見当たりません。僕が妄想するそこはかとない未来への危惧が全くの杞憂であることを祈っています。

 

そして今日の暴走したこの筆を今回はこんなところで起きたいと思います。
今更ですが構成も校閲もなんもないのであれですが、もう少しまとまった文章を書くつもりだったのにこんな感じになったのは残念でなりません。

そんなわけで。

 

デワデワ

ココニイルコト

最近の朝のルーティンと言えば、朝にしょうものない時間を過ごすことだ。

午前6時には起床して湯を沸かし、朝食の準備をする。別段空腹を感じてることもあまりないので自分の分は用意しない。トーストであったりホットサンドであったり、炒飯を作る日もある。それにホットコーヒーか味噌汁。これから出かける準備があるので僕が用意している。別に頼まれたわけでもないが、なんとなく義務感を感じるため用意し続けている。

朝食をとっている間僕はゴミ捨ての準備をしたり着替えたりする。冬の寒い朝は車のエンジンを先にかけておいて車内を温めたりもする。前日の洗い物が残っていればそれも片付ける。

そうこうしているうちに出発の時刻となり、家を出て駅まで送っていく。ここでまでくると後は仕事までの少しの時間は自分の時間だ。ここから僕のしょうもないルーティンが始まる。

 

朝も早くからハイボールやビールを飲みながら煙草を吸う。その間調べ物をしたり本を読んだり英単語を読んだり、収支の計算なんかもしたりする。

最近でこそまだマシになってきたが、冬場はなかなかにベランダは辛かった。それでもこのルーティンは続いた。

 

気がつけば2023年だった。

世の中は加速度的に目まぐるしく進み、様々な常識やら在り方が変化していった。

健康こそが至高であり、時間の貴重さのようなものが酷く誇張されているように思う。映画やゲームなどは自らの体験よりも他人の体験を擬似的に体験することで時間の節約をするようになっているという。映像などのコンテンツは1.5倍速で見たり、ゲームはもはやするものではなくyoutubeなどで他人のプレイを見るに至っているようである。それもこれも時間をいかに有効に使うかということが根底にあるらしい。

一昔前であれば時間を潰すためのコンテンツ、ゲームや映画、読書などは長く楽しめれば長く楽しめるだけコストパフォーマンスが良かったという認識であった。しかし今は逆で、いかに短い時間で楽しめるかというのが肝のようで、時間あたりの濃密さというものがコスパにおいて非常に重要視されるようである。

この流れにおいては煙草やら酒というのは最早時間や金や健康の無駄という風潮が俄かに囁かれているでもないような。よく知らないが。

それは効率的でスマートだが、おおらかさは失われたように思う。どちらが良いというものではないが、どちらが好きかというのはあるように思う。

 

こと煙草においては現代では最早負の遺産のように語られることも少なくない。しかしそれはいまだに根強く、少なくともここ日本では消え去ってはいない。それだけ多くの依存者を擁しているからだ。だがそれを一口に「依存」という言葉に封じ込めて軽蔑の目を向けるべき対象なのか。合理的でスマートなものが一様に良いものなのだろうか。

 

僕は2023年を生きている。なんとかまだ生きているようである。そして酒や煙草などのしょうもない娯楽も息を潜めながら生き続けている。

僕はそんな時代にこのどうしようもない娯楽と共にココニイルのだ。そんな事実を極々小さな喜びとして日々を送ることとしたい。

 

今日の一曲

youtu.be

 

僕が二十歳くらいからファンクに嵌り、貪るようにして聞いていたのがスガシカオです。

その中でふとこの曲を思い出したのでこの記事を書くに至りました。ちなみにこの曲はSMAPに提供されてたりするのでそっちのバージョンも機会があれば聴いてみてください。

スガシカオがこの曲の詩を書いたのは23歳の頃のようで、初めて作詞をした曲だといいます。ここでは人と人のことを題材にしていますが、人が何をもって「ココニイルコト」を感じるのは人それぞれのようです。

 

 

デワデワ

 

あなたとコンビに

子供の頃の記憶

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というわけでセブンイレブンの話。
僕がまだ4、5歳の子供だった頃は祖父母と暮らしていて、よく連れられて近所のコンビニに通っていたことを思い出しました。

近所にあったセブンイレブンはオーナーが好好爺といったかんじの人で、そのせいか他のスタッフも良い人だったように記憶しています。100円もしない駄菓子や炭酸飲料をよく祖父母に買ってもらっていました。またよくタバコのおつかいにも一人で行っていたことも覚えています。いまだと完全にアウトですが、昭和の香りがほのかに残る平成初期では特段問題にすらならなかったのでしょう。一箱250円のマイルドセブンをよく買いにいってはお釣りをお駄賃としてもらっていました。
そういえばそんな子供の頃、持っていた小銭が1円だけ足りなくて困ってしまったことがありました。店員は若めの女性で、所持金が足りない小さな子供を前に少し困った顔を一瞬したのですが、すぐに笑顔になってバックヤードから自分の財布をとってきて足りない1円を代わりに出してくれたのでした。当時の僕は感謝というよりも「なんとかなった」という安堵で胸が一杯で、お礼もそこそこに一目散で退店したように記憶しています。そんな心温まるエピソードもあってか、コンビニというのはどこか安心感のある、ただのものを買うというだけではないなにか心の拠り所のような役目を果たしているのかもしれません。
最近WBCアメリカから大谷翔平選手が帰国していたのですが、彼もまたコンビニについて何かこの話に近いようなコメントを残していました。

news.yahoo.co.jpあのスター大谷ですらこのように思うわけなので、やはりコンビニというのは日本人の一部にとっては少なくともサンクチュアリのような場所なのかもしれません。

いつもの春のやつ

毎度というか毎年春の恒例のやつです。

もう詳しくは書くこともしませんが結構今年はきつい気がしています。特に寝起きの「モーニングアタック」などと言われる症状でくしゃみと鼻水が止まらず、また鼻詰まりのせいで熟睡できない日々を送っています。なんか自律神経がどうのこうのでそれが原因でモーニングアタックがどうたらこうたら云々。睡眠不足で死んでしまいそうです。
本当に毎年のことなので詳細には言及しませんが、国内の杉と檜を全部伐採してくれんかなと切に願い続けて早20年以上。なんかこの杉の植林に関して国を訴えた強者もいるとかいないとか。さすがにそこまでする気にはなれないですが、そのくらいの勢いが出てもおかしくはないとは思います。そんなふうに誰か他所にやつあたりでもしないとまともな精神を保てなさそうな具合になる人もでてきそうなもんです。

いや本当につらい。なにとは言いませんが。これを書いてるときもティッシュをそばに置いておいてます。消費量が多い。医療費の控除の対象にならんもんかと画策しています。

勉強のモチベーションはf:id:sgif:20230323083850j:image

2年ぶりにPCを新調しました。
しばらくWIndowsを使っていたのですが3年ぶりくらいにMacに戻してみました。というのも最近久しぶりに勉強に熱が戻ってきてipadなんかも新調したんですが、OS間のアプリの同期ができない問題に直面してしまったのでやむなしというということでこんな編成となりました。スマホAndroidのままなのですが、単体で使う分には問題なさそうです。ただ連携面はイマイチなのでそこらへんどうするか考えています。
とにかく勉強時間をなるべくとって仕事についても考えなければいけない気がするのでとりあえずはしばらく取り組んでみます。
ちなみにこのPCやらタブレットはすべて中古品です。昔から中古品が好きで、コスパと中古故に気兼ねなく使えるところがその理由なのかもしれません。
最近父親のiPhoneを最新のものにしたのですが、やっぱり日々テクノロジーの進化がすすんでいるなと実感します。バッテリー以外特に使用に問題ないように思います。バッテリーさえ無事なら2世代くらいまえの端末でも大きく問題になることはないのではないでしょうか。一部のマニアを除いては。

 

世界一
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先日まで行われたWBCですが、すべてリアルタイムで視聴し、結果として全勝優勝ということで。個人的なMVPは吉田ではないかと思います。
ただ源田の骨折が今シーズンにモロに影響するのではないかという危惧はあるので手放しでは喜べない側面もあります。活躍してたのでそこはよいのですが、よほどこの大会にかける想いのようなものがあったのではないでしょうか。
とにかく14年ぶりのWBCの優勝ということでよかったです。特にメキシコ戦は興奮しました。

そんなわけで。

 

デワデワ

 

新年2023

2023

新年あけましておめでとうございます。

例年は年末というか大みそかに記事を更新していたのですが今年は何かと忙しく年を跨いでの更新になりました。

ワーワー言うとりますが今年もひとつ良しなに。


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昨年を振り返って

2022年もまた色々とあったのですが、主に肉を食い、実家が消滅し、スマホを買って買って売りまくった一年となりました。

そのかいあってか何とか本当の意味で死亡せずに生き残ることができたのはよかったように思います。やれ首相が暗殺されたり戦争が始まったりとなにかと物騒な年でもありましたが、なんとかなんとか。それでも明日を必ずしも生き抜けるという保証はどこにもないので日々を当たり前と思わずにやっていきたいと。そんな大それたことでも改まって言うことでもないんですがね。

 

2022年手に入れてよかった品

貰い物も購入したものもありますが何品か紹介したいと思います。

 

・Zenfone9

 

長年iPhoneユーザーだったのですが、本質的にはガジェット好きなのでいつかはandroidに移行しようと考えていました。

そのため祖母に生前にはHTC Desire626やらを与え、密やかなるガジェットへの熱を発散していました。

しかしいざ自分が使うとなると納得のいくandroidスマホが無く、日々情報をあさる毎日。

・軽い

・高性能

・ある程度コンパクト

・大衆的ではない

・ダサくない

こんな端末がいつか発売されることを願い、ついに昨年の11月に発売されたこのスマホを手に入れました。

大衆的なiPhoneとは違っていて且つ機能的に劣らない。ずっとこんなのを待っていました。財政難にならない限り使い続けたいと思います。

 

logicool K855

PC用の所謂メカニカルキーボードです。

最近のキーボードは薄いパンタグラフ式が多いですが、この昔小学校のパソコン室に設置されていたようなキーボードは今も健在で根強いファンも多い一品。メカニカルと一口に言ってもこれもまた色々な種類があるのですが、とにかく文字を入力するのが楽しくなるのがこの種類のキーボードだと思います。

カタカタとおいう音がうるさいと思う人には合わないですが、逆にこのカタカタという音が気持ちよく思える人には最高かもしれません。

 

・Nitendo Switch lite

本当は通常版を買うつもりだったのですが品薄でlite版を購入することとに。しかもピンク。そのうち買い換えたいなぁと思います。

ちなみに遊んでいるソフトは「スプラトゥーン3」です。前作の2もやっていましたが3になってより面白くなったと思います。

 

これらは昨年のなかでもかなり後半になって手に入れたものばかりで、実際前半はそこまでココロオドルものは少なかったです。というかそれどころではなかったのが本当のところかもしれません。

 

新年一発目の一撃

年明け早々ちょっとしたニュースがありました。

というのも僕には弟が3人もいるのですが、そのうちの一番年の近い弟がこの度結婚するとのことで、その旨の連絡を先日受けました。

昨年の夏ごろちょっとしたことで揉めたりなんだりしてたのでこのタイミングで結婚するんかと少し驚きましたが、まぁおめでたいことなので良かったなぁと。

しかしながらついに我が兄弟の中から既婚者が出るとは、僕も歳をとるわけです。今年33ですからね。ふとLINEの友達リストなんかをなんとなく眺めてたらいつの間にか苗字が変わってるのがチラホラいたりしますし、なんというか僕らもそんな世代になったんだなとしんみりしたりもしましたね。

とにかく年明け早々大き目のニュースが飛び込んできたわけで、果たして2023年はどんな年になることやら。じっくり状況を見守っていきたいと思います。

 

今日の一曲

youtu.be

かっこいい曲はだんだん見つけづらくなってきたりはしますが、それでもたまに見つかると嬉しいもんです。

どうして今まで出会わなかったのか。

というよりは寧ろどうして出会えたのか、ということを感じるべきなのかもしれません。とにかくシンプルに格好いい曲です。

 

そんなわけで。

 

デワデワ