こんにちは。
前回の記事でもチラッと書きましたが、先週福島に行ってきました。
今回は車ではなく新幹線で。
写真は大宮駅のホームにて。
新幹線はすこぶる快適です。
約1時間で福島は郡山に到着しました。
郡山からは車で移動すること1時間半弱。
今回は人生初の会津若松市に訪れました。
なぜ会津なのかというと、ここには嘉永蔵という日本酒の製造所があるのです。
そして製造所内を一般にも公開しており見学することができます。
それでは早速見てみましょう。
外観はこんな感じです。
歴史を感じる立派な建物ですねぇ。。。
中に入ると見学のタイムテーブルが。
僕は15時40分に到着したので最後の回に見学させていただきました。
見た感じ夫婦やカップルが多く、僕たちと同じ回に見学した人たちは若い人が多かった気がしました。
僕と同じくらいの年齢かなぁと。
みんな日本酒とか飲むんやなぁ…
ロビーには様々な展示品と井戸が。
この井戸はその昔実際に使われていたとのこと。
井戸を見ているとお店の従業員であろうおじいさんに色々と教えていただきました。
日本酒は水が非常に大切で、日本酒は米どころであるだけでなく綺麗な水が必要であるとおっしゃっていました。
そんなわけで「会津は水が綺麗なので、日本酒に適した米を作って関西は神戸の米である山田錦を超える日本酒を作って行きたい。」との意気込みも語っていただきました。
インタビューみたいになってしまいましたが、ご親切にも教えていただけたのでよかったです。
それにしてもなぜか色々なところで色々な人に僕は話しかけられます。
今回のようにありがたいこともあるのですが、理由がわからず不思議です。
まぁいいんですけどね。
時間になり見学がスタートしました。
これらの写真は、現在は使われていない米作りの道具です。
昔はこれらの道具を使って日本酒を作っていたそう。
当時は麹を作るために蒸した米などを8時間かけて大の男が徹夜でかき混ぜていたそうです。
ですがその後の科学の発展により酵母などを時間をかけて発生させるのではなく、後から添加することでこのかき混ぜる作業の時間を大幅に短縮させることができたとのこと。これには当時の従業員も大層喜んだみたいですね。
以下の写真はこの酒造のご主人がその昔住んでいたご自宅。
末廣酒造さんはなんと江戸時代の嘉永から続いています。
この時代ってペリーが日本に黒船できた時代です。
上の写真の上部にある書に注目してください。
これはすげぇ…
上の写真は野口英世がお世話になったという先生や、野口氏がアメリカでの研究から帰国した際に撮られた写真が掲載された本。
江戸時代ですからね。
上の写真は15代将軍、徳川慶喜直筆の書。
そんな感じで酒造を後にし帰路につきました。
帰りも新幹線。
ちなみに末廣酒造さんで一本日本酒を買ってきました。
ゆめのかおりというお酒。
純米大吟醸という種類で、口当たりは甘くて後味すっきり。
それでも日本酒らしさは残しており、非常に美味しい日本酒でした。
ちびちび飲んでいきたいと思います。
ご興味がある方はこちらでネットから購入できます。
飲みきったら買おうかな…
そんなわけで今回の福島遠征でした。
なんか記事が酒造さんの営業感も出てしまったような気がしないでもないですが、ステマとかではないですのであしからず。
とにかく面白かったのでまた他の酒造さんにも行ってみたいですね。
唯一の心残りは車で行ったので試飲ができなかったことかなぁ。
次回はしたいと思います!
では今回はこの辺で
デワデワ