という言い訳のようなもの
人生30年近く生きてきて、心持ちがそこまで変わったふうには思っていないのですが、どうも身体がついてこないことがあるなぁという出来事が最近あります。
果たしてこれは老化によるものなのか、それとも精神的なものなのか。はたまた両方なのか。
というのも、最近は大学入学に向けて勉強をしているのですがどうも調子が乗りません。気持ち的にはやらなければと思うのですが、以前のように仕事して副業をして、家事をして、そして勉強みたいなことが少しずつ難しくなっているように感じるのです。
具体的には身体が怠かったり頭痛がしたり。なんともいえず不調だったりします。
これは疲労による一過性のものな可能性も大いにあることはわかるのですが、もっと違う原因かもしれません。
老化現象なのかもしれません。でもそうでもないような。
やっぱりこれはあれですかね。自分のしたくないことをやってるからですか。
受験のためとはいえ、将来使うわけでもない古典やら数学やらの膨大な試験範囲を残り数ヶ月でやらなければならないというプレッシャー。焦り。
元来僕という人間はプレッシャーに弱いタイプの人間であると自覚しています。
こういったことが体調にも影響している気がしてなりません。
受験というのは厳しいものですから、こういう局面も乗り越えなくてはならないのですが、やるべきことはやらなければならないし、最善を尽くすべきです。
そうだ…
確かに数学や古典は大切な学問です。学ぶ機会があれば学んでおいた方がよい。けれど今やるべきかと言われるとどうだろう。
なにも入試は数学や古典、社会的科目を使うセンター試験だけじゃない。
社会人に向けた社会人入試がある。
もちろんそこでは難易度の高い英語の試験がある。
両方受けるつもりでいましたが、センター試験のための勉強に集中して、難易度の高い英語の勉強には全く手がついていないのが現状です。
かと言って今からセンターの勉強をして、規定の8割弱を全科目取れるかというと、かなり微妙です。
このままモチベーションや体調を維持しながら結果としてどっちも中途半端になるくらいなら、どちらかに振り切って勉強するべきだと決断しました。
どちらにするかと言われたら、言わずもがな。
現役生や浪人生には与えられてれいない資格であり、また僕の唯一の強みを生かせる入試形態の社会人入試に他ならないでしょう。
万一落ちても高校受験の時と違って滑り止めもあります。苦手を克服するよりも、今は得意を伸ばすことにします。
人には向き不向きがあるんだなぁと深く実感しました。そして、人には出来ることと出来ないことがあって、自分の器と技量を見極めることもとても大切なことだと思い知らされました。
ですがただ逃げたわけではありません。
これは挑戦するための決断であって、逃げるためのものではないのです。
というタイトルの通り言い訳で文を閉めたいと思います。
結局、実際はかなりの割合で逃げの一手を打つことになると思います。
だって数学とか古典とか範囲広すぎだし今からじゃやっぱ無理です。数ヶ月前のイケるとか思ってた僕には反省して欲しいです。
そんなわけで英語頑張りまーす。
デワデワ