4月の20〜22日にかけて京都に旅行に行ってきました。
小中高の修学旅行以外では初めての旅行です。
1ヶ月前くらいから計画を立てて予約だのなんだのをしたのですが、今の時代は便利ですね。全てインターネットで予約をし、予定を立てることができました。
誰でもスマホ一つで旅行できる時代です。そんな時代でも京都はやはり京都でした。古めかしくもあり、そこが趣き深くもあります。
まぁ能書きはここらへんにして写真も載せていきましょう。
まずは金曜日、20日の夜。地元の西武線で東京駅まで行きます。
東京駅には余裕をもって到着したはずなのに、バスの乗車場所を勘違いしてギリギリになってしまいました。事前確認は大事ですよ。(急いでいたので東京駅の写真は撮り忘れました)
22時半にバスに乗り、途中の休憩を挟んで翌朝5時半に京都駅に着きました。
朝早すぎてどこの店も開いてません。(眠すぎて到着したときの写真は撮り忘れました)
仕方ないので唯一開いていたマクドナルドで時間を潰します。余談ですが西日本ではマクドナルドをマクドと略して言うそうです。地域差ですね。
やっと時間になったので電車に乗りました。この時朝の7時半ごろ。
山陰本線で嵯峨嵐山駅を目指します。
電車内は向かい合わせの座席でローカルな感じ。地元の中学生的な子どもも多く乗っていました。
嵯峨嵐山駅です。
嵐山の町の景色。
早朝なのに人が多いです。
途中の天龍寺。(都合上行きませんでした)
ローソンも京都風です。
テクテク歩いて15分ほど。
最初の目的地の渡月橋に着きました。
渡月橋は、桂川左岸(北側)と、中州である中ノ島公園の間に架かる橋で、全体が右京区にある。橋長155m、幅11m、車道は2車線で、両側に一段高くした歩道がある。観光名所であるとともに、桂川の両岸地域を結ぶ重要な交通路で、京都府道29号の一部となっている。また、南詰は京都八幡木津自転車道の起点となっている。wikipedia より引用
渡月橋(とげつきょう)は桂川にかかる橋です。
とても綺麗で気持ちの良い場所なのですが、この日は4月だというのにほぼ真夏日。
朝から気温は30度近く…
めげずに嵐山公園を散策します。
途中百人一首が書かれた碑石が。
紀貫之や柿本人麻呂は有名ですね。
しかしながらこの公園。めっちゃ広く感じました。ちょっとしたハイキングのようなかんじ。
そこから、かの有名な竹林の道に訪れます。
竹林内では陽の光もちょうど良く、とても快適でした。
そしてほんとうに絵になる場所でした。観光客もたくさんいましたが、これは納得でした。
その後歩いて嵐電こと京福電気鉄道嵐山本線の嵐山駅より小室仁和寺駅へ向かいます。
嵐山駅では京友禅のモニュメントが。
嵐電は一両編成の電車でした。
かわいい。
その後小室仁和寺駅に到着。
意外と小さな駅でした。
そして仁和寺へ。
仁和寺も学校の教科書に載るくらい有名なお寺です。
仁和寺(にんなじ)は、京都府京都市右京区御室にある真言宗御室派総本山の寺院。山号を大内山と称する。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は宇多天皇。「古都京都の文化財」として、世界遺産に登録されている。wikipedia より
ちょうど時間もお昼時なので、仁和寺にある食堂で昼食。
昼食には京都名物の鯖そばを選びました。
そばの出汁はやはり関西風でしょうか。普段食べている味とは違いました。鯖は甘辛く味付けがしてあり美味しかったのですが、小骨が多く食べにくかったです…。
また全体的に少し青物っぽい匂いが強かったのですが、これまた京都名物の一味をかけると特有の生臭さはなくなり美味しく頂けました。
僕としてはまぁまぁでしたかね。でも鯖そばは人を選ぶんではないかと思います。興味のある方は是非。
昼食後には仁和寺を後にし、隣にある龍安寺へ。
隣といっても10分くらいは歩きますが…
この時すでに足がけっこう痛かったので、これ以降は歩くたびに足へのダメージが蓄積されていくのが感覚としてわかるのようになりました。
未だにちょっと痛い…
龍安寺に着くとチケットを購入し中に入ります。
龍安寺(りょうあんじ)は、京都府京都市右京区にある臨済宗妙心寺派の寺院。妙心寺との関係が深く、山内塔頭と同様の扱いを受けている。山号は大雲山と号し、石庭で知られる。本尊は釈迦如来、開基(創建者)は細川勝元、開山(初代住職)は義天玄承である。「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。wikipedia より
龍安寺といえば枯山水庭園か有名ですね。こんなかんじ。
この枯山水の庭には15個の岩が置かれているのですが…
石の数(七五三)にこめられた思いとは?
龍安寺に訪れた際は是非庭に立ち並ぶ石の数を数えてみて下さい。石の数は全部で15個なのですがどの角度から眺めても必ず1個の石は他の石に隠れて見えないように造られています。とても不思議ですよね!
なぜそのような配置にしたのか? 諸説あるようですが、有力なふたつをご紹介しましょう!(七五三説と虎の子渡し説)
七五三説
東洋の世界では「15」という数字は「完全」を表す数字です。どの角度から眺めても必ず1個の石は隠れて見えないように作られている庭は「不完全」な庭ということになります。
東洋では「陽数字」は縁起のいい数字とされてきました。陽数字とは奇数の数字のことです。石庭にある15個の石は東から(五、二)、(三、二)、(三)と並べられています。このうち最初の「五・二」を足して「七」、次の「三・二」を足して「五」、最後はそのまま「三」と3つに分かれて置かれています。この陽数字が「七五三」となります。15は七五三を全て足した数で縁起のいい数の総数ということになります。足りないものを見つめ、今の自分が存在することを心から感謝することを忘れてはならないという想いが込められているのです。
ちなみに「9」は陽数字の最大の数字で主に朝廷で重んじられてきた数字です。朝廷を9が重なる「九重(ここのえ)」というのはそのためです。また朝廷の儀式で菊の節句(重陽の儀)が行われるのは9月9日という最高に縁起のいい日なのです。庶民はさすがに恐れ多くて「9」を使うことを遠慮したのかも知れません。
東洋では十五夜(満月)にあたり、15という数字は「完全」を表すものとしてとらえる思想があります。月は15日かけて満ち欠けを繰り返します。15は月が満ちる最も完成された姿を見せる日の日数です。15に1つ足りない14はその意味でも「不完全さ」を表すのです。http://www.mag2.com/p/news/149327 より引用
なんだか奥深い話です。教養がないのであんまり知らないことだらけでした…
この後は金閣寺こと鹿苑寺に行きますがそれは次回また。
続く。。