All around us

I have written about something around me

現在午後1時過ぎ

現在地点

毎回のことながら記事の更新が2か月以上ぶりとなってしまいました。

自分なりにどうしてこんなにも書く気が起こらないのかと考えてみると、やはり書きたいと思うことが少ないからだということに気が付きました。人生30年以上も生きていると考え方は凝り固まりますし、なんというか老害に一直線といった感じがします。

何より生活に刺激が少なくなってきたように思います。ある程度のことは経験してきてしまったので新しいことに出会う機会がめっきり少なくなりました。もちろん注意深く振り返ればないこともないですが、これまでの経験を踏まえて生活しているとなにか物事に対して色々と予測しながら暮らしてしまうようになります。その結果としてもともと斜に構えて見ていたものをより一層つまらないもの、関心や刺激になりえないものとして処理してしまうということになります。これは良い言い方をすれば効率化ということで、感情や情報に脳のリソースをさかないということではないでしょうか。
ここで言いたいのは何でもかんでも効率化すればよいというものではなく、やりすぎると生活がモノクロで味気ないものになってしまいますよ、ということです。もちろん僕自身を含めてですが。

認知機能の衰えから新しいものを拒絶し、古きを懐かしんでばかりいてもあの頃は戻ってこない。今という現実をどう生きるか。答えは闇の中であります。

 

最近志村けんがネットで話題になっていたのでなんとなく調べていると、少し面白いことが書かれていました。「自分の一生を朝起きてからの時刻とするとわかりやすくなる」的なことだったような気がします。

 

もし朝起きてから寝るまでの時間を簡単に午前6時から午前0時までとすると18時間。

人間の一生をわかりやすく90年とすると時間との関係は5倍。

これを自分の人生に当てはめてみると現在は午後1時頃というところでしょうか。

一日の終わりまではまだまだ時間はあるが、だらだらと昼寝でもしていたらあっという間に夜になってしまう。逆にこれからどこかへ何かしに行こうと思えば何かできる、そんな時刻です。もちろん夜になったら布団にはいらないといけないのでそこらへんの時間はかんがえないといけませんが、この後どう一日を過ごすか考えてもいいかもしれませんね。

 

 

夏らしいこと

夏なので水辺に行きたくなり江の島に行ってきました。


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今回は初めて江の水にもいってきました。

盆に近い時期だったので人が多く感じました。コロナ明けということもあるでしょうが。

そもそも何をもってコロナが明けたのかは個人の考え方によってさまざまでしょう。もはやあの感染症は政治や宗教と肩を並べるほど思想や生き方が反映される事象となっているような気がします。ですからあまり気軽に話す内容でもないのかもしれません。触らぬ神にたたりなし。
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東北へのチャレンジャーとあぶくま洞again

 

つまりは幸手のパチンコ屋に行って南相馬に宿泊して津波の被災地と原発跡地に足を運んで鍾乳洞に探検しに行ってきたということです。

 

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マックス兄さんは今回の旅では比較的元気でした。

でも運転時にブレーキを踏むタイミングが少々怖かったです。なんとか無事に帰ってこれましたので心配には及びません。

 

 

美しく生きることはできない

最後にモノローグというか独白で今回の記事を閉めたいと思います。

余談ですが、最近はどこどこに行ってそのときのエピソードや写真をアップするよりも日々のちょっとしたことに感じたことや考えたことを文字にして綴っていくほうが筆が乗ります。

 

なんて言っても今回は特別大したことではありません。

単純に「人は理不尽で利己的で醜悪で、とまでは言わないもののやはり美しく生きていくことは難しい」ということです。

人の醜美の感覚は人それぞれなので具体的な話ではないのですが、そんな風に常々思います。美しく生きるのは難しいからといって醜く人の道を進んで外れていく必要はないですし、むしろそこを受け止めてどうやって生きていくのかが問題です。

自分の生き方はまだしも、人の生き方はおおよそ意図的に変えることは難しく、できたとしても非常に労力がかかります。ですから他の人の「美しくない」生き方を見たときに「見下す」か「諦める」というのが今のところの選択肢になります。この2つはほぼ同義かもしれません。

若いころは「働きかける」や「努力する」という精神状態でいましたが、今となってはそれこそ難しい。この2つもまた意味は変わらないかもしれません。そういった意味で年を重ねても人や社会みたいなものを努力して変えようよしている人は稀有でいて活力的だなと思います。こういった人も方向性を間違えると「美しくない」生き方になってしまう可能性があるので注意が必要です。

 

そんなわけで。

 

デワデワ