All around us

I have written about something around me

雑記

話題

前回の記事から2か月以上経過したのでいろいろと話題はあったはずですがネタをメモに残していなかったので特にこれと言って思いつきません。
なのでここまで書くだけでも珍しく時間がかかっています。結構困りました。

最近あった出来事としてはラップトップのPCを新調したり月に1回くらいスマホを変えたりしていますがそんなことは書くまでもないので置いておいて。


今月の中旬に2番目の弟の結婚式に参加してきました。

親族として結婚式に参加するのは初めてでしたが、友人として参加するのとは違って相手のご家族に悪い印象を与えないようにしなければいけないといったようなことを思いながら参加したので少々疲れました。また話し相手も3番目と4番目の弟くらいしかいないのでそこも困りました。
未だに弟が結婚したという実感もあまりなく、11月には姪も産まれるそうなのですがその事実を知ってもあまり実感が湧きません。ただ、姪っ子を抱いている弟を見て初めて彼も父親になったのだなという感覚にはなれるかもしれません。

 

最近はなんとなく体調がよくない日々が続いていて、それと同時に何となく老いのようなものを実感します。自分が子供のころに大人が言っていた「いつもどこかしら調子が悪い」という言葉の意味を理解しかけているのかもしれません。気持ちの上では特にこれといった変化はないのですが、フィジカルな変化は何となく否応にも理解してしまうような気がしています。それこそ弟が結婚しただの子供ができただのよりも色濃い実感が。

 

最近はとんと家から出ることも当社比では少なくなり、仕事をしているか副業をしているかくらいなもので、所謂やる気の停滞期のようなかんじです。周期的にこういったマインドセットになることがあるのはこれまでの経験からで別段気にすることではないのですがストレスは多少かかっているような気がしていて、それが体調にも表れているのかもしれません。体調とモチベーションはリンクしているのでしょうか。よくわかりませんがやれることをぼちぼちやっていくしかなさそうです。


生活とか

今更ですが昨今の物価高には嫌でも気が付きます。

外食をしてもスーパーやコンビニで買い物をしていても外にでれば商品の価格という数値の増加に気づかされます。物価は上がれど賃金は上がらず、貧困層はより貧困になり未来を憂いた若者は犯罪に走り治安が悪化し、なんてところにはまだきていないのかもしれませんが、近い将来こうなるかもしれません。

 

そもそも金というシステムやこの経済というシステムに限界がきているのかも知れないと妄想します。
例えば社会主義経済では同一労働同一賃金ですが、いくら同一労働といっても個人個人の能力には差が出てきてしまうので能力の高い人からすれば生産効率の悪い人と同一の賃金であることに不満が生まれます。結果同一賃金では生産性の高い人は手を抜き、それがスパイラルとなって全体の生産性は低下の一途をたどります。不便でもよくて、世界全体がこのシステムであれば低い生産性のまま不便な暮らしをすればよいのですが、全体がこのシステムを採用した歴史はなく、歴史的にみても長期的にはこのような社会主義経済は失敗しているように思います。
それに人間は一度手に入れた便利は手放すことが難しく、火や電気や原子力などのエネルギーを完全に放棄するのは成熟した経済や医療を考えると困難なように思います。

 

かといって現在僕たちが暮らしているこの世界の主流である資本主義経済にも困難が立ちはだかっているように思います。資本が資本を作り、富が富を蓄積させるこの方法は成熟すると現代の先進国のように経済的な格差という問題を抱えてしまうように思われます。頑張れば報われる、夢のある未来を描くには精神的にも物理的にもある程度の豊かさみたいなものが必要ですが、こういったものをこれからの若者、僕たちの子供の世代は得ることができるのでしょうか。古代ローマでも抱え、解決できなかった少子化という問題を世界は克服できるのでしょうか。有史最大を更新し続ける人口の爆発を地球は抱えきれるのでしょうか。

一歩外に出てみると意外にもそこは平和で、頭の中やメディアが煽るような危機的な状況は存外見当たりません。僕が妄想するそこはかとない未来への危惧が全くの杞憂であることを祈っています。

 

そして今日の暴走したこの筆を今回はこんなところで起きたいと思います。
今更ですが構成も校閲もなんもないのであれですが、もう少しまとまった文章を書くつもりだったのにこんな感じになったのは残念でなりません。

そんなわけで。

 

デワデワ